揮発性のことば

なんにも残らない

神様の箱庭で・「Ave Maria」雑感

 「この機会のために用意した作品」という魔法の言葉に乗せられて、ジャパンオープン観戦のために、さいたまスーパーアリーナへ行ってきた。
 メインの試合よりもゲストのことを先に書くなんて我ながらどうかと思うけれど、テレビ放送がある10月9日までに書きたいと思ったので許してほしい。多分、いつにも増して気色の悪い文章になると思う。試合も大変素晴らしい時間となったので、追々書きたい。

 あの日は、とにかく町田さんの演技を見るのが怖かった。町田さんが特別な何かを用意している──何度も「全日本を見に来てほしい」と繰り返していた2年前を思い出し、胸が騒ぐのだ。もしかすると、今日が最後かもしれない。変な予感が胸の内にあった。
 考えすぎだと言われればそれまでだが、彼の本業が大学院生である今、「いつ私たちの前から姿を消してもおかしくない」という寂しさがチラつくのだ。だから毎回毎回「これが最後でも悔いが残らぬように」と心に決めて演技を見ている。それでもあの日は怖くてたまらなくて、曲が始まるまで顔を伏せていた。 

 音楽が静かに始まって、恐る恐る顔を上げたけれど、町田さんはリンクにいなかった。照明もついていない。客席に戸惑いが広がっていく。スケーターがリンクとバックステージを行き来する階段にスポットライトが当たったかと思うと、町田さんはPIWのオープニングで纏っていた黒い衣装で現れた。既存のリメイクではなく、新しいプログラムだ。そう悟った客席から、アリーナいっぱいに拍手が鳴り響く。そして、それとは異なる優しいさざ波のような拍手が遅れて聞こえてきた。今回はライブ盤の音楽を使っているらしく、録音された拍手もそのまま消していなかったのだ。最初は本当に波の音が入っているのかと思った。
 トランペットのアヴェマリアに乗せて、町田さんはひと蹴りひと蹴りの動きで魅せていく。一番の盛り上がりは、終盤のロングトーンに合わせた長い長いアラベスク。さっき拍手の音を波に喩えたけれど、穏やかな海をすーっと横切っていく一隻の船のような、静かなハイライトだった。最後は澄んだブルーのスポットライトと、その中心から少し外れた位置での祈るようなランジで締めくくられた*1
 「継ぐ者」「あなたに逢いたくて」に対して、この「アヴェマリア」は少し違う感覚で見ていた。今までの作品は、滑っている町田さんから同心円状に会場を支配する力が広がっていくイメージだったが、今回はさいたまスーパーアリーナの天井の方から、もっと大きな見えない力が働いているようだった。うまく言葉で表せないのだけれど、神様が、30m×60mの箱庭で、町田樹という人間を滑らせて遊んでいるような。町田さんと私たちのやりとりではなく、神様と町田さんの対話を端から見ているような。選曲が選曲だし、新横浜や東伏見よりずっと大きな会場で見ていたのも作用していると思う。

 演技の途中から「あれ、そういえばジャンプを跳んでいない」と気がついた。「ジャンプが無くても魅せられるプログラムを作ろうとしたのかな」と思っていたけれど、解説を読んで、それは町田さんの意図と少しズレているように感じた。私が今まで無意識に抱いていた「ジャンプを抜いて、その分をスケーティングスキル・スピン・ステップで補う」という感覚ではなく、「そもそもこの曲(と照明)には、ジャンプを入れる必要がない」という考え方だった。
 フィギュアスケートを見るようになって日が浅い私にも、強く印象に残っているジャンプ無しのプログラムは幾つかある*2。しかし、時にそれらには「ジャンプが無くても……」という枕詞がついていた。私も今まで、それに疑問を抱いたことが無かった。だから、そういうズレが生まれたのだろう。
 2014年の全日本前に放送されたインタビューで「ジャンプのためにプログラムがあるんじゃない、プログラムのためにジャンプがある」と話していたのを今でも思い出す。私はそれを「ジャンプにも意味を持たせてプログラムに入れている」というふうにしか受け止めていなかった。町田さんが競技のルールから離れた今、あの言葉には「ジャンプもあくまで表現手段のひとつに過ぎない」と続くのだろうか。必要とあらば6種類すべてのジャンプを入れてしまうし、必要ないなら、それまでなのだ。そういう意味では「継ぐ者」と「アヴェマリア」は対になっているのかもしれない*3
 解説の結びにあった「祈り」は、昨今の構成の難化に対して一石投じたいとか、ジャンプの成否ばかりに注目が集まる報道姿勢に警鐘を鳴らすといった、ジャンプ至上主義への反骨精神とは、おそらく少し違う*4。「とっておきのプログラムを作ったので披露します、ちょっと違うかもしれないけれど面白いでしょ」という、誤解を恐れずに言えば彼の無邪気さではないだろうか。引退後の作品群はどれも綿密に練られ、丁寧な解説がつけられ、新しい発表がある度にファンは謎解きをするようにプログラムを楽しむ。でも難しそうに見える作品群の根底には、至極シンプルでまっすぐな想いが共通してあるのだと、今回強く感じた。

 少し話が逸れるが、町田さんが引退して間もない頃、ツイッターにあれこれと書くことさえ躊躇ってしまう時期があった。これからは違う道へ進むのだし、メディアの前にも出てこないだろうし、そっとしておくのが一番いいんじゃないか。ちょっとしたことが迷惑になるのではないか。そんな葛藤をしながら毎日を過ごしていた。応援しててもいいのだろうか、と。ショーで定期的に姿を見せてくれるようになった今でも、時折そんな考えが頭を掠める。我ながら面倒くさいファンだなと思う。今回のアヴェマリアを見て、解説を読んで、その葛藤から少しだけ解放された気がした。とても都合のいい解釈だけれど、赦しというか、せめて祈ってもいいのかなと思えた。
 神様仏様マリア様、こいねがわくは、大海原へ漕ぎ出していく彼の旅が明るいものでありますように、どうかお護りください。遠くの街から、私は祈り続ける。



*1:もっと詳しく書けよと言われそうだけど登場の仕方が衝撃すぎて色々吹っ飛んでしまった

*2:ルール上ジャンプエレメンツがないカテゴリもあるけれど、ここではシングルの話として

*3:どちらもシューベルトだし

*4:彼に反骨精神が無いとは思わないけれど