揮発性

なんにも残らない

推しがボレロ滑ってくれたら死ぬ・「ボレロ」起源と魔力と、

 

推しが武道館いってくれたら死ぬ(1) (RYU COMICS)

推しが武道館いってくれたら死ぬ(1) (RYU COMICS)

 

 

 誰かを応援している人なら、「推しのこういうところが見たい」という願望の一つや二つあるだろう。武道館のステージに立たせてあげたい。主演の座を勝ち取ってほしい。一晩だけでいいから再結成してほしい。あの人とあの人が共演したらいいのに。等々。
 私にとってのそれは「町田樹ボレロで滑ってほしい」というものだった。過去形なのは、先日とうとう叶ってしまったからだ。

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 先の記事でも書いたように、プリンスアイスワールド横浜公演の初演でそれは実現した。引退以降、町田さんは初演が始まるまで演目を伏せている*1。だから毎年、最初の一音が聞こえてくるまで客席は「今年は何の曲で滑るんだろう」という期待で充満していて、どこか異様な雰囲気になる。

 拍手が止むと、薄明かりの中に一人の男(町田さん)が現れ、フクロウの声が響く。足場を確かめるようにトントンと氷を踏む。真夜中の森だ、凍った湖だ…そう思った瞬間、スネアドラムの音がかすかに聞こえてきた。音量が小さくて最初は何か分からなかったけれど、その中からあの3連符を耳が拾ったときは「まさか!」と思った。「町田樹ボレロ」が見たすぎて、頭の中で何度も何度も想像していたのに、いざ目の前で始まったら、俄かに信じられず茫然とする自分がいた。驚いたような嬉しいような、何とも言えない顔をしていたと思う。顔の筋肉が上手く反応してくれない、そんな感覚だった。客席が暗くてよかった。
 男は、フルートの音色に合わせて静かに滑りだす。身体を氷に慣らすような、ゆっくり緩やかに円を描くコンパルソリーだ*2*3
 まずショートサイドに平行して2つの円が並ぶ。そしてそれと直角になるように、ロングサイドに平行した4つの円を並べていく。最初はリンクの中央から展開されていたコンパルソリーは少しずつ形を変え、次第に面積が広がっていく。探り探り試すように、ポジションを変え、重心を変え、ついにジャンプを覚える。エッジのトゥを使って小刻みに駆けていく。まるで思いついたことを片っ端からやっているようだった。
 ストーリーの設定上、夜の湖に観客はいない*4。順位もなければ点数もつかない世界。しかし逆に言えば、2Aを何回跳んだって反則にならないのだ。男は誰のためでもなく自分のために滑り、スケートそのものの面白さ・自由さにじわじわ狂っていく。その様が、次第に白んでいく空とリンクする。気がつくと楽器の音数が増え、白いピンスポだけだった照明もピンクとオレンジと紫が混じったような東雲色に変わり、リンク全体を照らしている。夜が終わろうとしている。PIW独特の、北側の壁のライトも、曲が進むごとに順々に点いて、森の向こうから白い朝日がチラチラと見え始める。
 終盤のクライマックス、男は4つのシンバルに合わせてバレエジャンプを4回跳ぶ。私がロングサイドで見ていたとき、向かい側の壁にはライトで4つ白い丸が浮かんでいて、バレエジャンプを1回跳ぶごとにライトの角度がグッと上がっていくのが見えた。おそらく反対側(私が座っていた側)の壁にも同様の照明が当てられていると思う。氷にあたった太陽の光があちこちに反射している*5
 そしてその光が天井に届こうとした瞬間、男はハッとしたように空を仰ぐ。最初はあんなに足元の氷を確かめて滑っていたのに、陽が高く昇るまで我を忘れて踊り続けてしまった。太陽の熱で氷が溶け、次第に柔くなっていたことに気づかぬまま、氷を蹴り上げてジャンプを跳んでしまった。しかしもう後の祭りで、曲の終わりと共に男の視界は暗転する。さっきまでの光と熱狂など、最初からなかったみたいに。
 町田さんの公式HPの解説には、はっきり「男は死んだ」とは書かれていない。あくまで「姿を消した」とだけ記されている。しかし、2段落目にわざわざあんなことを書いているあたり、男は死んだのだろう。氷を踏み抜き、薄暗い水の中に沈んで*6

 学生時代、学科も違うのに「なんとなく面白そうだから」という理由で舞踊学の講義を取ったことがある。そこで初めて、ベジャール振付のボレロを見た。ノイズ混じりの古ぼけた映像の中で、ジョルジュ・ドンが取り憑かれたかのように踊っていた*7。私にはさっぱり理解できなくて、教授の解説も忘れてしまったが、最後に倒れて終わるところで「あ、死んだ」とぼんやり思ったのを覚えている。
 ものすごく久しぶりに、あのボレロYoutubeで見た。まず手元の動きだけを小さく照らし、次第にジョルジュ・ドンの上半身、そして全身、彼が立つ赤くて丸い舞台、最終的に周りのダンサーを含めた舞台全体が照明で照らされるようになっていた。曲の盛り上がりと照明の展開もそうだし、振付、そしてその左右対称性にも、ベジャールボレロのエッセンスが、今回の作品にも散りばめられていた。
 序盤、足を広げて低姿勢のまま観客を睨んで滑るのを、東西両サイドで繰り返したところで気がついた。初演で座っていた南側から見ると、コンパルソリーで生まれた模様はシンメトリーになっている。西側でやったことを東側でもやる。左手でやった振付を右手でも繰り返す。ブレスレットも左右の手首に同じものをつけている。2015年の「継ぐ者」でもそれらしい振付はあったが*8、今回はさらにそれが濃くなっていた。

 氷に刻まれる幾つもの円、そしてそれを対称的に配置した幾何学模様、中央から末端への展開を見て、曼荼羅みたいだと思った。大多数の日本人がそうであるように、私はさほど仏教に詳しくない。多分教科書か教育テレビで見たものを、うっすら覚えていたのだろう。あとから調べてみたら、Mandalaはサンスクリット語で「円」と言う意味を持っているそうだ。コンパルソリーの円。球体の太陽(と太陽系の軌道)。ジョルジュ・ドンが立つ赤い舞台の円。周りのダンサーが作る円陣。同じメロディーを何度も繰り返すボレロも循環(=円)をイメージさせる。こじつけで書いている自覚はあるし、町田さんには全くそんな気はないだろう。ただ、彼が今回掲げているフィギュアスケートの起源と、人を狂わせる魔力。そしてもう一つ、円環というテーマが私の頭の中に浮かんだ。
 スケートを見るようになって4年くらいになるが、こんなことを考えたのは初めてだしそもそも町田さんは神様じゃない。リンクの中央に描かれるのは神様ではなく、とある一人のスケートに狂った男である。それが今回の物語に出てくる「男」のことなのか、町田樹というスケート狂なのか、私には分からない。それでも町田さんが氷に立つとき、そこにどんな宇宙が描かれるのか、毎回わくわくせずにはいられないのだ。











↓ここからはものすごく感情的なこと↓

 ボレロの初演が終わってからしばらく経って、見たかったものが目の前で実現してしまった嬉しさと、それと同じくらい、自分勝手でぼんやりとした不安が、胸の中に広がっていった。
 同じだ。4年前、スケートアメリカのライストで「交響曲第九番」を初めて見たときと同じ不安だった。
 「町田さんのボレロが見たい」という願望は、紛れもない真実だった。ただ、その願望には続きがあって「それはきっと、町田さんがショーに出るのを辞めるときだ」と勝手に思っていた。そして、あと何年か先の話だと思っていた。だって、舞踊音楽の最高峰とも言えるボレロをやったら、来年は何をやるというのだろう。
 「第九」のときもそう思っていた。こんな超大作作っちゃったら、町田さん来年どうするの、と。そして彼は本当に、2014年の暮れに突然競技から去っていった。
 昨晩、SPORTSウォッチャーのドキュメントを見た。放送前は5分くらいだとばかり思っていたのにめちゃくちゃ長くて、編集しても情熱大陸1回分くらいあった。情報量が多すぎてめまいがした。ナレーションのひとつひとつが、私の心をざわつかせた。「嬉しい」より「なんで」という気持ちの方が大きかった。なんで最初で最後なんて言ったんだろう。なんで今まで頑なに見せてくれなかった舞台裏を見せたんだろう。なんで引退してからの作品を全部ダイジェストで流したんだろう。なんでそんなに何でも話してくれたんだろう。なんで。町田さんのことだから、きっと理由がある。でも考えたくなかった。
 以前のブログでも書いたが、町田さんの演技を生で見るとき、これが最後になってもいいように、と思いながら見ている。でも、それでも、あと1年でも2年でもいいから彼の演技を見ていたいと思ってしまう。いつか辞めてしまうのは分かっている。私みたいな1ファンがあーだこーだ言うことではない。そんな物わかりのいいふりをしながら、全部杞憂で終わってほしいワガママな自分がいる。嫌な奴だなと我ながら思う。でも、来年もまた、町田さんの新作の感想をブログに書きたい。心の底からそう願ってしまう。



*1:例外として、去年の「白鳥の湖」はパンフレットのインタビューでネタバレされていた

*2:ものすごくざっくり書くと、エッジで決められた図形(figure)を氷に描き、その滑り跡の正確さや姿勢の美しさで競うもの。フィギュアスケートの原型と言われているが、地味でテレビ映えしないので、1990年ごろに競技から消えてしまった

*3:ソチ五輪のシーズン、町田さんは拠点を大阪に移して大西勝敬先生に師事し、基礎のコンパルソリーから見直して急成長した…というのはファンの間ではよく知られた話

*4:と思われる。そういう意味では、黄色い照明で客席を照らしていたドンキホーテと対照的にも感じる

*5:あと、こうすることで360度全ての観客から「上っていく太陽」を感じることができるという狙いもあるんじゃないかな

*6:禁転用なので是非公式HPを見てください

*7:たぶんギエム版も一緒に見た気がする

*8:中盤、3Loからの腕ぐるんとか